京の外れに構えたという鬼兵隊残党の隠遁地は、自然溢れる片田舎にあり、江戸のかぶき町の喧噪とは正反対の長閑さである。ちょっとそこまで、のつもりが行き先が京であると知り、驚きつつも同行した新八と神楽のお陰で、道行がずいぶんと賑やかなものになったのは素直にありがたかった。
そうして訪れた屋敷は、質素な門構えではあるが、よく手入れが行き届き、控えめながら風情のある佇まいはどこか松下村塾に似た雰囲気である。驚いたことに道場まで備えており、よくもまぁここまで、と思わせるほど。彼らの高杉への敬愛の深さを思わせる様である。
事前の予告もなく訪ねてきた銀時たちを出迎えたのは、やはりまた子であった。相当な不義理を働いた自覚のある銀時は烈火のごとき怒りを覚悟していたのだけれど、元来感情豊かな彼女の瞳には、怒りも呆れも、涙の気配もなく。ただこちらの真意を見通そうとするかのようにじっと見つめるばかりで、それがどこかの誰かによく似ていた。何を言うまでもなく見つめ返す銀時に何を思ったのか、挨拶もそこそこに、道場ッスよ、とだけ端的に告げ促したのだった。
あんたたちはこっちッス、と母屋へと促される新八と神楽の気遣わしげな視線に、軽く頷いてみせて背を向ける。
キシ、とひとりすすむ廊下の軋む音すら耳にいたいほどの静寂に、らしくもない緊張感で胸が潰れそうですらある。いっそ喉から飛び出しそうなほど。もうちょっと事前に情報くれてても良かったんじゃねーの、と八つ当たりめいた心持ちですらある。
たどり着いた道場の内側から聞こえた、カタ、と微かな物音と衣擦れに、緊張はついにピークに達し、喉から飛び出したのは、
「た、たーのもーーー!!」
などとまるで道場破りさながら。抑揚のない割に上擦った情けない声では全く格好も付かない。力加減を誤って入り口の戸を吹きとばしてしまうが、そんなことよりも。
あっという間に全神経がひとつ所へ急速なまでに引きつけられる。
陽の光の射し込む道場。さほど広くはないその中央。
はたして、そこに彼はひとり座していたのだった。
年の頃は、おそらくは出会った頃より多少幼いようである。まぁるく小作りな頭に、サラサラと流れる黒紫の艶髪。突然の轟音に驚いたように腰を上げかけた不自然な姿勢でピタリと動きを止めた彼の、驚きに見開いた両の眼。その深い碧色の瞳がまっすぐに銀時を見つめていた。きゅう、と一瞬開いた瞳孔が光を受けて煌めいて。
ぱちり、ぱちり、と二度瞬き。ゆっくりとその瞼が勝ち気をたっぷりと含んだ笑みの形にたわむ様に、息をすることすら忘れて見惚れるよりない。
たかすぎ。
小さな身体に胴着と胸当てをつけた思い出の中の少年は、銀時の胸の奥深いところに息づいて、そっと取り出しては憧憬をもって眺めてきた宝物にも似た存在である。
心身ともに健やかそうな佇まいと、一途に見つめてくる瞳、薄く笑みをたたえた唇。ただそこにいる。それだけで、あらゆる感情が奔流のようにわき出して、胸が詰まって破裂しそうである。堪えきれない歓喜に、ふるえる唇の端がゆっくりと持ち上がって。
両目、見えてんだ。元気そうじゃねーか。ていうか、まつげ長っ。こいつこんなだっけ?いや、こんなチビだった。相変わらず髪さらっさらな。くっそ生意気そーな面して、俺のことすっげー見てるし。つーか笑ってんじゃん。ご機嫌か?ほっぺた大福みてぇ。うまそ。なんか、もう。めちゃくちゃ、
「ちっさ、」
他にいくらでも胸にこみ上げる想いはあった筈なのに、つい思わずこぼしてしまった一言。けれど、それは自分でもぎょっとするほどのいとおしさに満ちた響きをしていて。
聞いたこともない己の声音にうろたえた次の瞬間、ダン、と道場の床を強く踏み込んだ音がその甘やかな余韻をかき消した。そのことにはホッとするけれど、手元にあったらしい竹刀を振りかざし、物も言わずに打ちかかってこられてはたまらない。
「ちょっ、おぉぉい!待って、待てってば!」
条件反射で愛用の木刀で受け止めれば、やはりまだまだ子どもの腕力である。打撃はごく軽いものだけれど、じん、とそこから身体中にえも言われぬ衝撃が広がって、続けざまの剣戟。体格差ゆえに、随分と下の方で打ち合う刀の向こうには至極楽しげな瞳が煌めいていて。
「よォ、銀時。久しぶりにしちゃあ、随分気の効いたご挨拶じゃねェか」
声変わり前の柔らかな声音が紡ぐ、耳馴染みのある言い回し。銀時、と当たり前のように呼ばれた己の名に、ただしく魂の輪郭をなぞられるよう。
息をのんで見惚れた隙をつかれて正面から迫る竹刀の切っ先。彼お得意の突きの構えから繰り出されるそれを軽くいなすつもりが、ついいつもの調子で木刀をふるってしまい。圧倒的な腕力差に堪えきれるはずもなく、後ろに弾き飛ばされた小柄な身体に瞬時に肝が冷え、考えるより早く足下を強く踏み込んでいた。
後方に吹き飛ばされながらも受け身をとろうと身をよじった高杉が、それでも構えたままでいた竹刀をひっつかんで引き寄せる。
小さな身体を懐に引き寄せながら反転。勢いを殺しながらも、背中から轟音をたてて壁へ激突することになったけれど、背を打つ痛みなど取るに足りないほどの一瞬の恐怖に萎縮した心臓が、安堵と共に、ドッ、と胸を打つ。
懐に抱いた、小さく、柔い、あたたかな身体の無事を確かめるべくのぞき込んで。
「たかす、」
グェッ!
背をきつく抱かれたままの体勢から、鳩尾を容赦なく踏みつけられ、呻いた直後に眼前に迫った竹刀。
銀時の胸に丸っこい頭をくっつけていた彼には、バクバクとものすごい勢いで暴れ回る心音は筒抜けだっただろうに、バシ、と容赦のない一撃で面を取られて。
「アホ面してんな」
「てんめェ・・・」
俺の勝ち、とでも言いたげににんやりと口元に笑みを浮かべ、懐からひょい、と飛びずさるあっけなさである。激突の拍子に壁に掛けられていたものが落ちたのだろう、床に散乱している木刀をひとつ掴み上げている様を見て、やれやれ、と腰を上げる。
そうして獲物を替え、またしても挑みかかってくるものだから、彼に蹴散らされた不安はあっという間に小憎たらしさにすり替わって。
「手ェ抜いてんじゃねえよ」
「はぁ~?これはね、加減してやってんの!プルトップが軽すぎて、まーた吹き飛ばしちまうかんね!」
不服そうな高杉を煽ってやりながらも、まだまだ遊んでいたいというのが隠しきれないまでの銀時の本音で。彼相手にやり慣れないながら慎重に力加減をしていたのだけれど。
なぜだか一撃一撃が素早く重くなっているような感触である。不審に思って打ち合う最中によくよく観察してみれば、どうも先ほどより一回りは身体が成長しているようである。
「ちょっ、タンマ! お前、なんかちょっとでかくなってない!?」
チビだけど!よけいな一言を付け加える銀時を一瞥した高杉は、小首を傾げつつも、どうやらきつくなったらしい胸当てを無造作に脱ぎ捨てて、再び打ちかかってくるのである。
「いやっ、ちょっと!お前それどうなってんのォ!?」
全く聞く耳を持たない小さな暴君の相手を続けるうちに、少しずつ、また少しずつ交わす刃が重くなって。
「知るか。それよりてめェ、生きてんのか」
「はァ!?生きてるよ!お陰様でね!ぴんぴんしてるわ!!」
また少し成長した彼が、声変わり直前のようなかすれた声音でおかしな事を言い出す始末である。放浪するわ深酒しては泥酔するわで散々な有様だったなどとはいえるはずもなく。咄嗟に言い返すけれど、身体の急激な成長のせいで、すでに引っかけただけのような胴着が目の端でひらひら翻って、それがどうにも気になって仕方ない。一歩下がって休戦を示し、
「着てな」
と自分の着流しを放り投げてやれば、不服そうにしながらも受け取ったそれを手早く身につけて木刀を一振り。ちらりと寄越してくるのは、銀時の中の何かを見透かすような瞳で。どうやらまだやりあう心づもりのようである。
「それじゃあ、一体何しに来やがった。まだ、テメーにゃ、やることが、あるだろうよっ」
言葉の途中で再開した打ち合い。切り結ぶ合間に寄越されるのは、相も変わらずかんに障る視線と物言いである。そうだった、こいつはこういう奴だった。てめェが定めた侍が、相も変わらずその魂に居座っていやがる。
「銀時。俺ァ、逃げやしねェ。ゆっくり来りゃあいい、つってんだ。…生者はさっさと居るべき場所へ帰んな」
諭すような声音は低く甘やかだが、押し合う刃の向こう、また少し成長して攘夷活動を行っていた頃の懐かしい容貌に、己自身を過去の亡霊だなどと嘯いていた静謐な面差しがだぶって。何が生者だ。一体誰が亡者だってんだ。…そんなもん。
「言ってる意味、さっぱりわかんねーし、テメーに指図される謂われはねーんだよ!つーか、ゆっくりなんざ、してられっか!俺ァなァ!!」
カッと血が上った勢いのまま振り上げた木刀で相手の獲物を弾き飛ばし、ついでに足下を払って床へと押し倒す。
後頭部だけは庇ったが、したたか背を打ち付けただろう高杉が、それでも反撃に転じる為に跳ね起きようとするのを制するべく、小作りな頭の真横にドガッと轟音をたてて木刀を突き刺す。
「テメーに会いたくて、こうして来てんだろが!!」
突き詰めた自分の願いは、ただそれだけだった。他の誰にも言えず、自覚し認めることすらままならず。受け取る相手のいないままくすぶり続けていた願いは、いま吠えかかるような怒声となって胸を突き破っていた。
その聞いたこともない直截な物言いに硬直し、驚きに目を見張る高杉にのし掛かかり、腕の間に囲い込む。柔らかさの削げた頬にゆるく添えた手のひら。身の内に燃える激情とは裏腹に、ぞっとするほど優しげに触れる指先が、前髪をそっと払う。現れた左目をのぞき込み、長く閉じられていたその眦を指の腹で柔く撫でて。
「いいか、せっかく開いたその両の眼ェかっぴらいて良く見な。高杉。お前が後生大事にそこにしまいんでやがったソイツだけじゃねぇ。今ここにいる、テメーが護ってみせた、この俺を」
低く抑えた、滔々と訴えかけるように降り注ぐ声音に、胸を突かれたような顔をして、じぃっと見上げてくる瞳。乱れた着流しの合わせからするりと左手を差し込んだ先では、確かに心の臓が力強く脈打っていて。手のひらを押し返す温かな肌と、微かな呼吸に上下する胸。一度己の腕の中で失った相手の、確かな生の感触に唇をかみしめる。
うっすらと唇を開いたまま身動ぎもできずにいる男は、そうされて今初めて己の鼓動に気がついたようですらある。
「生きてんだろが。…こいつァ、松陽が繋いだ命だ。辰馬が言うにはな、師が弟子を護るのは当然なんだとよ。それを、他でもねェ、テメー自身が亡霊扱いすんのは、俺ァ我慢がならねェ」
普段の茫洋とした雰囲気をかなぐり捨て、鬼気迫るほどに爛々とした瞳で見下ろされた高杉が、瞬きを一つ、次にふるえる唇で浅く息を吸って。
「銀と、」
名を呼ばう声はしかし、チュイン、と音を立てて銀時の頬をかすめた銃弾に断ち切られた。
何事かと慌てて後ろを振り返れば、そこには眦をつり上げて拳銃を構えるまた子と、それを諫めるように手を伸ばしている武市の姿があって。
「そこまでッス!白夜叉!!」
「また子さん、まだそっとしておいた方が・・・あぁほら、お邪魔じゃありませんか」
そして、
「銀さん…」
「銀ちゃん…」
呆れた風の半眼で、まるで不潔なものでも見るような眼差しを寄越している新八と神楽である。
その四対それぞれの視線にさらされて、自分たちの体勢の危うさに気がつき、慌ててのし掛かっていた高杉の身体から飛び退く。
「いやっ、してない!なんもしてないよ!!こいつがね、あんまり分からず屋だからさァ!!!」
何もしてません、とばかりに両の手を挙げて無罪を主張するけれど、我ながら全くもって説得力がない。
「ちょっ、高杉、お前もなんか言っ、」
冷や汗をかきながら、擁護しろとばかりに見やった相手は、ようやく身を起こしかけていたけれど、乱れた着物を指先で直す様は妙に婀娜っぽい。しかも彼が身につけているのが、全く身体のサイズに合っていない己の着流しでは、いよいよもって針のむしろである。
「いやっ、いやいやいや!!これはね、そういうアレじゃないんだよ、ほんとだよ!?」
もはや語るに落ちたような有様で動揺しきりの銀時を気にも留めていないただひとりは、未だ銀時の足の間に座したまま、ひょい、とその肩越しに顔をのぞかせて。その稚気すら感じられる仕草に、ぐぅ、と胸を詰まらせる。
おま、おまえさぁ、なんでそんなチビなの!?内心の絶叫など聞こえる由もない高杉は呆れるほどマイペースで。
「また子。武市」
「…っ、晋助様。……晋助様ァァァア!!!」
顔をのぞかせた高杉に名を呼ばわれたその瞬間、また子のつり上がっていた眦が潤み、あっというまに大粒の涙がこぼれ落ちる。よろよろと駆け寄ってきたまた子が、銀時の左側、高杉の斜め前に膝をついてその手を取って泣きじゃくる様は、余りに稚く。
「また、お会いできて、また子は、また子は……。良かった、…良かっ、……晋助様ァ……」
涙の合間に切れ切れに訴える彼女に、なにやら得心したかのように一度銀時を見上げた後、どこかぎこちなくまた子の頭を撫でる高杉の眼差しは、慈しみをたたえた穏やかなもので。その横顔のうつくしさに、つい丸っこい頭を撫でようと伸びかけた手のひらを、ぎゅっと握りしめる。
詳しい事情はよくわからないが、どうやら収まるところに収まったようである。泣く子につられるように潤みかけた視界を隠すように、ふい、と顔をそらせば、その先には同じくたっぷりとした涙に瞳を潤ませつつも、にんやりとからかうような表情の新八と神楽が立っていて。
「良かったネ、銀ちゃん」
「全く、心配しましたよ」
「……おう」
全くもってろくでもない大人である。もはやこどもとは呼べない程しっかりと成長した彼らに対して、返す言葉もないのだった。
「武市、どうやら苦労かけたみてェだな」
「いいえ。私たちは、鬼兵隊ですからね」
「…そうか」
「さて、それでは少し早いですが夕餉にいたしましょう。すでに準備は整えてあります。晋助殿は、どうぞ先に着替えをなさってください」
まだ泣きやまぬまた子を慰める術を持たないことに、弱った風情である高杉に助け船を出すのは、さすがに参謀と言ったところか。
ぐす、と鼻をすすり、着物の袖で涙を拭った彼女がすくっと立ち上がり。
「…また子がしっかりお着替えを準備してくるッス!」
「あぁ、すまねぇな」
任せてくださいッス!と照れ笑いを残して駆け出す後ろ姿を見送ったところで、ふいに横から口を挟んでくる者がある。
「さて、高杉。今宵の夕餉には俺が握り飯を用意してあるからな」
「そうか。……おい、ヅラ。なぜテメェまでここに」
「ヅラじゃない、桂だ。貴様、ノリ突っ込みをするならもっと声を張れと。…いやなに、ようやく銀時が腹をくくったようなのでな。見届けに来てやったまでさ」
「おいおいおいおい、何勝手なこと言ってくれちゃってんのォ?ていうかお前着いてきてたわけ?こっわ!ストーカーこっわ!!だいたいね、別に腹をくくったとか、そんな大げさなこっちゃねーからね?ただこのくそチビの面ァ拝みに来てやっただけでね!俺ァ、別に、」
「なに?貴様、まだ」
「待って!まだ、ってなに?やめて、お願い!300円あげるから!」
「銀さん。それ、もう300円でどうこうできることじゃないですよ…」
「ダダ漏れアル。諦めるネ」
途端にわぁわぁと騒がしくなった様を、かやの外からぼんやりと見つめていた高杉が、やや遅れて一人やんわりと唇を緩めて。にやにやしている馴染みの顔たちに、違う違うと否定しながらも、その滲むような笑顔を目の端でとらえてしまえば、周囲の喧噪などあっという間に遠ざかり。
テメーがそんな面してられんなら、俺ァいくらでも馬鹿やってて構わねェよ。
らしくもなくそんなことを思って。自分に向けられる生ぬるい眼差しなど全く気付かないまま、性懲りもなく血の気がのぼるような心持ちで見惚れるよりないのだった。