「…、とき。……おい、ぎんとき、」
低く甘やかに己の名を呼ばう声音。清廉な水気と品の良い煙の混じり合った何ともいえず身体に馴染む良い香り。すっかり解け合う程に身を寄せ合った温もりに懐いて。
きもちいい。とても。
心地よい温もりを腕の中に閉じこめ、いつの間にやら満たされた心持ちでひとしきり微睡んでいた銀時だったが、いよいよしびれを切らしたらしい高杉に揺り起こされたのだった。
んがっ、と鼻が鳴るのと同時に覚醒した身体がびくりと震えるけれど、とろとろと心地よい微睡みの圧倒的な余韻は未だ銀時を満たしていて、到底離れられそうにはない。
だというのに。
「寝るなら、部屋へ行け。いい加減肩が凝って仕方ねェ」
気付けば抱き枕よろしく、腕どころか両の足まで絡めて囲った上、その肩口に遠慮なく頭を乗っけて寝こけていたのでは、確かに重かったろう。銀時を揺り起こす声音は冷静そのものといった所だけれど、決して短いとは言えない時間、高杉がずっしりと重みのある銀時の身体を抱きとめていた事実がどうにも面映ゆく。
「…ん。そうな」
すり、と一度高杉の首筋に懐いて、名残惜しい心持ちを押し殺して軽く身を離せば、ひゅう、と懐が冷えて。
あ、やっぱ寒ィわ。
思った瞬間、凝った四肢をほぐすように軽く伸びをしている高杉の身体を再び引き寄せたのは、ほぼ無意識の動きだった。予想外の事によろめいた身体が抵抗する前にひょい、と抱え上げながら立ち上がる。
「おーい、低杉くん。えっらい軽ィなァ」
やはりまだまだ成長過程で筋肉量が足りていないのだろう、どうにも頼りない重量である。
おい、とか、何してやがる、とか不審そうに戸惑いつつも、隙あらば蹴りを繰り出してくる油断のならない身体をしっかりと抱え、廊下をのしのしと歩いて。
「お前の部屋どこ」
「…突き当たりの右。てめェはそのひとつ手前だ」
「はいよ」
俺の部屋のこたぁ聞いてねェだろが。この状況で別々の部屋で寝るわけねぇのに、何とぼけた事言ってやがんだ、こいつ。
すぱん、と行儀悪く足で障子を開け、入り込んだ高杉の部屋。まず目を引くのは衣紋掛けに掛けられた流麗な着流しである。そして簡易な文机、煙管の用具一式と三味線が立てかけられており、主の風流をよく表している。
後ろ足で締め切れなかった隙間から月明かりが細く差し込む室内、その奥まった場所に整えられている、ふかふかと柔らかそうな布団へと一直線。抱きかかえた身体ごと座り込み、ばふりと陽光の香りのするそこへ倒れ込む。有無を言わせぬ銀時の仕草に呆れたような眼差しの高杉は、己の寝所へ踏み込まれておきながら、まるで警戒心の欠片もない様子なのは一体どういうつもりなんだろうか。
「てめェ、ここで寝る気か?」
「そう」
ごそごそと高杉を抱えたまま掛け布団をひっかぶる。流石に普段寝起きしている煎餅布団とは雲泥の差である。上等な寝床を居心地よく整えながら短く返せば、幽霊なんぞがまだ怖ェのか、などと真顔で問うてくる有様である。
「違ェよ。ま、それでもいいけど」
「なんだそれ。煮え切らねェ野郎だな」
納得のいかない様子でボヤいてはいるが、どうやら銀時を布団から蹴り出すつもりはないらしい。
お前、ここで俺が煮えきったら自分がどんな目に合うか、全くわかってねぇだろ。大ボケも大概にしておけよ。まぁ、今はいいけどさぁ。
あー、ぬくい。きもちい。
「おい。銀時」
「んー…。…なに。寝ろ、高杉」
「ちっと離しやがれ。寝苦しい」
「うるせェな。せっかく人がいい気分で寝ようってのに」
もぞもぞと落ち着きのない身体。その鼓動ばかりは逃がさないときつく抱き込めば、ますます高杉の腰が引けていくようである。
「なに。なんなの、お前」
苛立ちも露わな半眼で見やれば、まなじりをうっすらと染めた高杉はどこか困ったような怒り眼で。
「てめェの、誤作動起こしたモンが当たってんだよ」
「は?」
……あぁ。ま、そりゃそうなるだろ。
惚れぬいた相手の温く、いい匂いする身体抱いて、ふかふかの布団で最高に心地よく微睡んでんだから。
「つうか。誤作動たァ、聞き捨てならねェな」
ぐい、と緩く兆している腰を意図を持ってさらに押しつけてやれば、やや青ざめてひきつった表情が”正気か?”とでも言いたげに己の胸元から訴えかけてきて。
いやいやいや。
なんなのコイツ。別にそんなどん引きされるようなこっちゃねーだろが。オイ。
「お前、俺が言ったこと、憶えてねェの?」
言ったろが、てめェに惚れてるって。
二度は言わねェぞ、とばかりに、一世一代の告白を吹き込んだ右の耳朶を甘く噛めば、まるで想定外の所から剣を受けたみたいな顔で首を竦めて。
「そいつァ、憶えてる、が」
「…が、なに。はっきり言え。生娘じゃあるめェし」
「生娘じゃねェ。男だぞ。俺ァ」
「んなこたァわかってんだよ! は? じゃあ何かよ。そういうつもりじゃありませんでした、ってのか!?そりゃ、俺だって、何も今すぐヤっちまおうってわけじゃねーがなァ」
あまりの大ボケっぷりに、むくりと身を起こして腕の中の身体を跨いでのし掛かり、真上からのぞき込む。
「テメー、言ったよなァ? 俺の無理なら通す、ってよォ」
「言っ、たなァ」
が、そういうつもりでは、とでも言いたげに思案する風情の高杉を見下ろしていると、先ほど遠慮もヘったくれもなくこころをぶち抜かれた意趣返しができたようで気分がいい。にんやり、と唇の端が持ち上がって。
口吸いのひとつでもしてやりゃあ、流石に勘違いもねぇだろうよ。
別に本気で無理を通させたいというわけではない。嫌ならいくらでも拳を振るえばいいだけの事。さてどう出る?と内心わくわくしながらも、じっと瞳を見つめながら緩く顔を寄せれば。
「あ、」
これっぽっちも色めいたものではなく、何やら腑に落ちた、と言わんばかりの声音である。
「…お前さぁ、ちょっと空気読むとか…」
できないよな。わかってます。くっそ。
一人で考え込ませたらろくな事にならないと分かり切っているので、聞きの体勢に入ってやれば。
はた、と一瞬さまよった視線を間近の銀時に戻し、やや不本意そうに小首を傾げてみせ、
「心の準備が、」
などと覚束ない風情で言うのである。
そのあまりの稚い様子に、ごっそりと気力を持って行かれるよう。咄嗟に腕の力が抜けた銀時に潰された高杉が、ククッ、と低く喉の奥で笑う振動が、合わせた胸から直に響いて。たぶん、こちらの体温が急激に上昇しているのも伝わってしまっている。けれど、流石に眦から耳朶に掛けて瘧のように熱が広がっているのを正面から見られたくはない。せめて、と高杉の肩口に顔を伏せた銀時が、ようやっと捻りだせたのは、照れを押し殺した低く唸るような声音である。
「…あのさァ、」
「ヅラの奴が、お前に無体働かされそうになったら、こう言ってみろと」
「誰がンな真似するかっ! くっそ、マジでアイツろくな事しねぇな! テメーもホイホイ乗っかってんじゃねェ!」
さらりとろくでもない事を言っておきながら、がばりと身を起こして吠える銀時を見つめる瞳は、悪戯に成功したかのように楽しげに煌めいていて。
何をこそこそやっているのかと思えば、そんな入れ知恵をしていたとは。とはいえ、桂の危惧していることくらい銀時にだってわかっているのだ。相手はこの独善的な勘違い野郎なので。けれど、銀時にとっては唯一と定め惚れ込んだ相手でもある。もちろん、それすら見越しての悪戯に違いなく。
さすがの俺だってなぁ、いざって時にコイツに”こんな事なんでもありません”みたいな目ェされてみろ、バッキバキのベッキベキに心折れるわ!
あーもう。腹立つ野郎だな、くっそ。
かつての悪童と神童殿が組んで悪戯をしかけてこられて堪らない想いをすることになるのは、過去ままあったことではある。奇襲が十八番の銀時をこうして明後日の方向から出し抜いては、妙に得意げに瞳を煌めかせる高杉も、おそらくはさもありなんとばかりに頷いて居るであろう桂も。とんでもなく憎たらしくてならないのだが、どうにも胸の奥を擽られるようで。
ひとり煩悶していると、薄く笑みを浮かべたままの高杉が、くしゃりと収まりの悪い銀時の天然パーマに指を差し入れ、まるで犬猫をあやすみたいなやり方で触れながら、ツン、と柔く一房引っ張ってみせる。やたらと甘い無言の呼びかけに意識の向いた銀時を見上げながら、またふわふわと指を遊ばせるので、あっという間に機嫌が上向いてしまう。そうしていともたやすく銀時の意識をからめ取った高杉が、ふと笑みを深めて。
「俺ァ、てめェ相手に心の準備は必要ねェと言ったし、そんときゃあ返り討ちにしてやるつもりでいたんだぜ」
「できんのかよ」
「…意に添わなけりゃあな」
「ヘェ。なら構わねぇな?」
高杉が想定していたのはどうせ喧嘩事に違いないと気づいてはいたけれど、なにをどう納得したのか全く推し量れないが、今更ながらの合意に至ったというのなら、あえて藪をつついて蛇を出す必要もないのだった。
ふと思いついて見下ろしていた高杉の身体を引き起こしつつ、腰を抱き寄せ両足の間にしっかりと収める。長めの前髪を避けて現れた瞳を見つめ、滑らかな頬から耳朶に添わせた指先で耳朶を緩く擽る。くすぐったげに身をよじった高杉が浅く息をついた隙にちゅむ、と唇を柔く啄んで。
どちらも瞼を伏せることのないまま、二度三度と触れるだけの口づけは、気恥ずかしいまでの初々しさである。男の唇であるのに、思ったより、柔い。少しかさついたそこをぺろりと舐めれば、やはりどこか素朴な甘さすら感じるよう。
そうか。紅の味がしないからか。
はむ、と深く合わせた唇を吸えば、一切の抵抗もなくそこが綻んで。そうして差し出した舌先が絡んでしまえば、あとはもう。ゆったりとした助走をつけて走り出す情動とは別に、頭の片隅でどこか冷静な自分が、てめェのやり口を他ならぬ高杉に知らしめることになるのを揶揄る声音が聞こえるようだったけれど、そんなものは目の前の微かな情欲を灯した高杉の瞳の前ではなんの意味もなさないのだった。
※
それぞれ熱を放ち、それと同時に欲に煮えたぎっていた頭がすっきりしてしまえば、やはりやってくるのは途方もない気恥ずかしさである。殊更に平静を装い、茫洋とした眼で互いの体液を始末する銀時の耳に、ふと笑みを含んだ高杉の密やかな吐息が届く。
「てめェと閨事たァ、どうにも可笑しなもんだぜ」
「まァ、いっそ正気の沙汰じゃねェさ。ヤりてェ盛りにだって手を出さねーでいたモンに、触れようってんだからな」
本気も本気である。
ぽい、とくしゃくしゃに丸めたちり紙を屑籠へと放りつつ、さらけ出した胸の内からこぼれ落ちるぼんやりとした声音は、どうにも甘ったるい心情をたっぷりと含んでいるよう。もうどうにでもなれと。どうしたって惚れてんだから、仕方ねーんだよ。とばかりに開き直る銀時を見つめ、ククッ、と愉快げに喉を鳴らす高杉に、憎たらしさに似た情動を煽られつつ、その臀部を鷲掴み。
「ま、そういうこった。こころの準備?…しとけや」
再び抱き締めた身体ごと、ばふりと布団に倒れ込み、今度こそ心地よい眠りを期待してもぞもぞと寝床を整え、途端にやってきた睡魔に、くぁ、と大きなあくびをひとつ。連日続いていた不快な寝不足の所為もあり、あっという間に眠りの縁に片足を突っ込んだ銀時の臀部に這わせた不埒な手のひらが、ぎゅむ、と抓られる。
「必要ねェと言ったろ。それより、なんで俺がこっちなんだ」
高杉の心底不可解そうな声音に、痛みより別の驚きに、銀時の眠気をたっぷりと含んだ瞳が瞬く。
「…お前、俺のことヤりてーの?」
「そうは言ってねェ」
「じゃあいいだろ。お前、ちっちぇーん、だ…か、ら…」
ゆるりと腕の中に囲った身体を胸に引き寄せつつ、ほとんど眠り掛けながらの声音は、憎まれ口にしては隠しきれない程の愛おしさに満ちていて。本人がそれと気付く前に、語尾はそのまま深い寝息に取って代わる。
間近から浴びせかけられた甘ったるい眠気混じりの声音と、無意識にか右の耳朶をやわく擽った指先、すっかり安らいだ穏やかな寝顔。ゆるく、けれどしっかりと引き寄せられた頬が触れる温かく分厚い胸板は、力強く脈打つ鼓動を高杉に伝えて。
浮き雲のように捕らえ所のないと思っていた、彼が追い続けた、ただ一人の男のてらいのない有り様に、高杉が今更のように眦から耳朶までを赤く染めた事も。胸の内にはらんだ熱を逃すように吐いた小さなため息が、愛おしさをたっぷり含んだものになってしまったことも。そうして、まるで観念したかのように、その背に腕を回した事も。
「おやすみ」
じっと銀時の胸元からその寝顔を見つめ、小さく囁いたやわらかな声音も。
すぅ、と深い寝息をたてて、久方ぶりの心地よい眠りにたゆたう銀時の知る由もないのだった。