朝日が昇る裏側では夜 - 1/3

 

 堂々たる風情の松の古木である。大人が十人以上両の手を繋いで囲んでもまだ足りないほどに、太々とした胴回り。頑強な幹に相応しく、その枝葉は天高く茂り、淡い月明かりを遮り地面に濃い影を落としている。
 龍穴から噴出する龍脈を養分として育ったに相応しく隆々とした巨木。太く育った幹を支える根は深々と地に張り巡らされており、複雑に絡み合い、表出した地の上で底を見通せないほどの昏い洞を形成していた。

 その奥底。微かに脈動するものがある。

 何かに呼び浚われるようにしてたどり着いたこの場所で、銀時はほの暗い洞の向かいに腰を下ろし、夜な夜な酒を舐めているのだった。

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 ターミナルで全ての決着を終えた後、銀時は一人かぶき町を離れた。掛け替えのないひとたちを見送ることになった事に悔いはなくとも、やるせなさは拭いきれず、万事屋として繋がってきた人々と共に日常に戻ることができなかったのだ。虚ろになどならないと啖呵を切っておきながら、やはり魂の片割れの命の灯が消えてしまえば、失われた温もりと共に空虚のなんたるかを、その身をもってして知ることになったのだった。
 貴様らは全くもってろくでもない悪童だったが、ちょうど二人揃ってようやく一人前の侍ってものだったのだろうよ。取り立てて大げさな嘆きもいたわりも寄越さなかった桂の言である。穏やかながらも、その表情にはやはり一抹の寂しさがあって。

 ヅラのやつは俺と会うより前からてめーと馴染みだったろ。物わかりのいいふりしちゃいたが、あれで随分とさみしがってやがったぜ。良かったな、高杉くんよォ。らしくもなく俺にまで変に気ぃ使って来やがるから、撒いて出てきたわ。

 特にあてどのある旅ではかったし、なにを期待するわけでもなかった筈なのに、銀時はいつしか各地の龍穴を辿りながら南下し、懐かしい松下村塾の跡地に立ち尽くしていたのだった。さっさと地獄への黄泉路をいってしまった男とそこで再会したのはそれほど前のことではないのに、今となってはもう遠い過去のことのようだった。何をしに来たわけでもない。あのターミナルで形見になるようなものを持ち出すこともしなかったし、彼がかつて敵対した兄弟子にしたように、懐かしい学び舎へ帰してやろうなどと殊勝なことを思ったわけでもないのに。

 おまえがあいつをあっさり兄弟子なんて呼んでんの、ほんとはあんまいい気してなかったんだぜ。刃を交えてわかりあいました、って、おめージャンプの主人公って柄じゃねーんだから。そういうの俺の役目なんだよ。この銀さんの。チビのくせに勝手に好き放題やってんじゃねェっつんだよ、まったく目を離すとこれだからおまえって奴はよォ。

 けれど高杉のたてた簡素な朧の墓を見おろし、こうも思ったのだった。彼の命を繋いでくれたという点に関してだけは、百万歩譲った上で、幾ばくかの感謝をしてもいいと。情の強さゆえにか、てめェの定めた目的を成し遂げる為には他の何をも、自分自身ですら利用しつくすような苛烈な性をも持ち合わせている男だったから、きっとあの兄弟子も無理をふっかけられたのだろう。そう思えばある種のおかしさすら覚えるのだった。あれほど憎み敵対した相手なのに。

 そこであいつらに会ったよ。高杉。おまえあの子泣かしてばっかりだな。

 以前にその地を訪れた際にも合わせた顔である。高杉と共にあった参謀と少女。あの時亡霊を称した男を思い、何だって構わない。生きてさえいれば、と泣いた少女は、いってしまった男を捜して無意識にさまよう銀時の心情を本人以上にくみ取ったようだった。今度は自分がと泣き腫らした強い眼で見返した彼女の一途に応えられるのは、やはり高杉だけだったから。

 だから、まァ。おまえは嫌がるかもしれねーが、そんなこたァ俺の知ったことじゃねーし。何だって構わねーとまで言い切るくらいだ。観念して世話になりやがれ。

 言葉少なに事情を説明した銀時が別れ際に押しつけられた腕時計型の通信端末。それは銀時が地球で、彼が遠く宇宙で戦ったあの戦争の折りに使っていたものであるらしい。重傷の手当の際に外し、そのまま行方不明になった高杉の。そう説明しながら無理矢理に押しつけられたものを投げ捨てる訳にもいかず。しかしこんなにも早く活用することになるとは思わなかった。
 晋助様は必ず私が見つけてみせると。その時はアンタにも知らせてやるッスよ。ありがたく思うんスね。涙に眦を赤く腫らしておきながら、ずいぶんな憎まれ口をたたいていたけれど、きっとそれだけではなかっただろう。

 松下村塾の跡地を離れ、引き寄せられるようにたどり着いて数日。夜は古木の前で酒を呑みながら洞へとぽつぽつと語りかけ、日中はその枝の上に寝そべり樹木の息吹を感じて。そうして微かだった気配ももうずいぶんくっきりと形を成しているように思える。
 今朝方、一言場所のみを知らせるメッセージを送りつけたのち、電源を切って懐につっこんでいるので返信は確認していない。どこをどう行動しているかは知らないけれど、きっと彼らはすぐにでも駆けつけてくるだろう。おそらくこれが最後の夜である。

 もしもこれが高杉であるのなら。高杉でなかったとしても。他のどんな生き物で、どのような生態であったとしても。間違えようのない懐かしい魂の輝きが宿っているのならば、どんな道が目の前にあったとしても、自分ほどには決意をさまよわせるようなことにはならないだろう。

 テメーはほんと諦めの悪いヤローだからな。どうせ意に添わねーとなりゃ、何をぶっ壊してでも希んだ道をゆくんだろうさ。

 何度でも刃を交わしてきたからこそ、そう思えた。出会ってから、何度も。勝つまで、と銀時に挑み続けてきた勝ち気な瞳。悲しみとふがいなさに折れたこともあったけれど、錆び、朽ち果てるでなくもがき続け、やはり最後には手前ェの定めたことをやり遂げた。そういう男だったから。
 龍穴を祀る為の社、その神棚から拝借してきた神酒を一舐めし、残りは洞の奥へ。

 さて。一方的な酒宴もこれで仕舞いか。

 夜明けと共に神職の者とそれに連なる者が一人二人と動き出す気配に、銀時は名残惜しさを押し殺してゆっくりと立ち上がり、ここ数日そうしていたようにするすると巨木へ登る。直後、まるで離れる気配を咎め追うように、ふぁ、と頼りなげな呼び声が響いて。

 地獄で待ってな、って言ったのに。おまえほんとに俺の言うこと、てんで聞きやしねーな。

 思い通りになった試しのない相手を不満に思うけれど、そんなものはもう、とっくに。なにせ、今際の彼がそれを了承したのだけは確かなことだったので。

 増え始めた人々のおののく気配。なぜかような所に。たたりじゃ。さざめくように畏れを含んだ声が樹の上まで伝わってくる。

 たたりっておまえ、またえれェ言われようじゃねーか。背が伸びねーたたりか?

 まったくもって、ろくでもない祟りみたいな奴だってのはあながち間違っちゃいねェが。と、おかしく思いながらも、害をなすような悪意があれば即座に飛び降りるつもりで全神経を集中している自分も、まったくもって。その手に抱くどころか、一目たりと見えることすらできないでいるくせに。それでも。

 駆け込んできた、かつて高杉が慈しんだ少女の気配にほう、と一息ついて幹に背を預けた。眼下では、また新たに生を受けた存在がいよいよ大きく生をうたっている。堪え切れぬように涙する少女と赤子、二人の泣き声を背後に聞きながら、脳裏に過ぎるのは銀時が初めて負けを喫したあの幼い時分の、てらいのない高杉の無垢な笑顔であるのはどうしたことか。

 今度こそ、おまえを護りてェ。

 ゆるりと上げた視線の先。遠く昇りゆく朝日が滲んで揺れた。