めばえ

 

 陽の落ちて久しい薄暗い室内。草木すら寝静まった深夜に、乱れた呼吸音がひとつ。
 ふぅ、ふぅ、と浅く、熱の籠もった吐息にじっと耳を澄ませていた銀時の耳に、キシ、と廊下を踏む密やかな気配がふれる。
「銀時。どうですか、晋助の様子は」
「さぁね。ずっとふーふー言いながら寝てる」
「また熱が上がってきたんでしょう」
 言いながら室内に足を踏み入れた松陽が、晋助の眠る布団の傍らに膝をつき、すっかり温んでいる額の手ぬぐいを取り去る。それを手桶の水にくぐらせ、よく絞り、熱を持った頬、汗の滲む首筋をいたわるように拭う。深い眠りの底に沈む晋助は、されるがまま起きる気配もなく、ただ深い呼吸を返すのみである。その姿は、いつもの不遜できかん気の強い晋助の様子からはかけ離れて哀れに見えた。
 看病をするでもなく、己の刀を抱えたまま、室のもっとも薄暗い所に陣取っていた銀時が、松陽、と囁くような声音で呼ぶ。
「そいつ、死ぬの?」
 驚くほどに平坦な問いに、目を丸くした松陽が銀時を振り返る。凪いだ声音同様、重たげに垂れた瞼の下の赤茶の瞳はしかし、外の月明かりを受けて爛々と輝いていた。
「まさか」
 一言否定の言葉を返し、松陽は再び眠る晋助を見下ろす。

 晋助が高熱を出して倒れたのは、日中、銀時との試合の最中のことである。ふら、と一瞬身体が揺れ、その隙を逃さず竹刀を振るった銀時に吹き飛ばされそのまま倒れ込んでしまったのだった。打ち合いの最中、晋助の軽い身体が弾き飛ばされるのは、ままあることだった。けれど、すぐさま起きあがってはもう一本、と噛みつく筈の晋助がぐたりと倒れ込み。不審に思うまもなく、真っ先に駆け寄ったのは桂だった。ひどい熱だ、と晋助を囲み、ざわつく門下の面々に取り残されたように立ち尽くした銀時を、助け起こされた晋助はそれでも気丈な瞳で睨めつけていたが、そこにいつもの覇気は見あたらず。甲斐甲斐しい様子で肩を貸す桂に連れられ、道場から出ていく後ろ姿を、銀時はじっと見ていた。日中、気のないそぶりを見せていた銀時ではあったが、付き添いをしていた面々も寝静まった深夜になって、ひとり晋助の眠る室に忍び込んでいるとは。

「少し疲れが出たんでしょう。明日にはきっと良くなります」
「ふぅん」
 気のない返事の割に、そこを動く心づもりのないと見て取り、松陽は薄く笑みを浮かべた。
「たまに、額の手ぬぐいを替えてあげて下さいね。それと、もし晋助が目を覚ますようだったら、しっかりお水を飲むようにと」
 そう言って、す、と立ち上がった松陽を目で追う銀時に、にこりと笑みをひとつ。頼みますよ、銀時。と一言残し、いらえを聞く前に軽い足取りで室を辞した。

 それからしばらく、じっと暗がりに身を潜めたまま、飽くこともなく耳を傾けていた苦しげな呼吸が一瞬止んで。ふと見やれば、熱に潤んだ瞳がしっとりと張り付いた黒髪の隙間から銀時を見つめていた。その何とも言えずもの言いたげな眼差しに急かされるように口を開く。
「また、勝ち星に差が付いたぜ。まぁ、虚弱くんが無効試合にしてくれ、ってんなら、」
「…いわねぇよ」
 つい叩いてしまった憎まれ口を遮るように突きつけられる否は、熟んで掠れているにも関わらず、確かな意志があった。そのいらえに、ふぅん、と胸の中で一つうなずく。
 なら、てめぇを倒したのは、俺の刀ってことでいいわけだ。
 晋助が倒れてからこちら、ずっと腹の底に重く沈んでいた気鬱が妙に浮つくよう。
「そんなもん、すぐ取り返してやらぁ」
「…なら、水飲んで寝てな。松陽が言ってたぜ」
 松陽の言いつけには素直に従うから、と勧める言をまるで聞こえていないように、暗がりに座す銀時を見据え、なおも晋助は言い募る。
「また、明日、勝負…」
「…ん、」
 熱っぽい瞳の奥、炎を揺らめかせる晋助のひたむきな眼差しを受け止めて頷けば、一瞬笑みの形にたわんだ瞼の下、強い意志の宿った瞳が、ぱちり、ぱちり、とひどく重たげな瞬きに遮られ。
「もう、寝ちまいな。また、明日だ」
 囁くような声音で促せば、微かな頷きと共に大きな瞳が隠れ、ふぅ、ため息のような寝息をひとつ残し、次の瞬間には深い眠りに落ちていた。
 熱に浮かされた晋助が、このやりとりを覚えているかはわからないけれど。
 先ほどよりも僅かばかりか楽になったように思える呼吸音に耳を澄ませながら、銀時は懐に抱いた刀を強く引き寄せる。晋助の眠る布団の上、その命を刈り取らんとする死神の刃が光ろうものなら、決して見逃しはしない。その心づもりはあっても、病という形のないもの。斬れないものというのは、なんと厄介であるかと。
 じっと虚空を見据えたまま、まんじりともせず。夜が明けるまで、ずっとそうしていた。

 

 翌日。
 ぐっすりと眠り、すっかり体調を戻した晋助は、昨日の負けを取り戻すべく、銀時の前に立っていた。午前の座学の間中、後ろの席でぐうすか寝こけていた銀時は、剣の稽古となると途端に起き出し、普段ならば勝負事に拘る高杉の相手を面倒臭げにするくせに、随分と好戦的な様子である。
 いつもとは、何かが違う。
 しっかりと両の足を踏みしめて目の前に立つ男に、ほんの僅かの違和を覚える晋助の後ろ、試合を見守る松陽もまた、その笑みを深めていた。どうやら、一皮むけたらしいと。

 銀時の胸の奥、未だ言語化には至らないそれは、ひっそりと、しかし、確かに息づきはじめていた。