想いが通じ合った相手の血というのは、大変に美味なものである。というのは吸血鬼の一族にとっては、常識である。もちろん、好いた相手でなければ吸えないだとか、そんなロマンチックな縛りはないし、吸血量だってほんの僅かで構わない。そもそも、燃費は悪いものの、植物から生気を得ることだってできるわけで。
だから、別に、吸血鬼だからって、なにが何でも血を吸わなきゃ生きていけないってわけじゃない。……ない、のだが……。
腹減った……。
ぐうぐうと腹の虫が盛大に鳴いていたのも随分と前。今となっては食糧を欲する気力すら失ったような有様だ。血液どころか草花からの生気すら受け付けなくなってしばらく経つ。人の食べ物を摂ってみたりと、どうにかこうにか飢えを凌いできたものの、いよいよ干からびてしまいそうだ。
共に吸血鬼である両親の元から独り立ちして以降の住まいとしている館から這い出て、食糧として育てている薔薇園までやってきたものの、夜の月明かりを受けて輝く美しい特製の薔薇たちの芳醇な香りは食欲を誘うのに、花びらに唇をつけたところで生気を上手く摂れないまま朽ちてしまう。
これまで長く生きてきた中で摂食障害など一度も起こしたことがなかった俺が、こんなことになってしまった理由は、はっきりとわかっている。
すっかり乾ききった口内に蘇るのは、苦さばかりが鮮明な血液の味。
幼なじみの吸血鬼である秋彦の血の味だ。
素直に好きだと想いを告げる事も出来ないまま、失恋したばかりの幼なじみにつけ込むようにして、相互の吸血を持ちかけた。思い人に対して一途に吸血を絶っていた秋彦に、代わりに吸ってみりゃいーじゃん、なんて嘯いて。けれど、想い合う相手なら甘美なものになる筈のそれは、やはり苦いもので。わかりきったことだったのに、僅かばかりの期待すら打ち砕かれてしまったのだった。結局、それ以来血液どころか、どんな生気も受け付けなくなってしまった。
完全に、自業自得ってやつだ。
目眩がしてよろめき座り込んだ薔薇のアーチの下、深い眠気がひたひたと押し寄せてくる。
あーあ。
俺だって、一度くらい想い合う相手の血ってやつを味わってみたかった。このまま消滅しかねない状況では、もう望めないけれど。じわりと眦に滲んだ涙を情けなく思いつつ、そんな事を考えていたら、きゅるる、と断末魔のような腹の虫が鳴く。
「お腹空いてるんですか?」
「……ん?」
突然の問いかけに重たい瞼をこじ開けると、微かに潤んだ視界に飛び込んできたのは夜の闇を封じ込めたような漆黒。呆気にとられて瞬くと、ぽろりと涙が一滴零れ、よくよく見てみれば、どうやらそれは瞳であるらしかった。
「俺、血の気は多い方なんで、どうぞ」
などと言いながら、ごく至近距離で俺をのぞき込む男が迫ってくる。まだ年若く、頭部には瞳と同じく黒い耳。犬? いや、人狼だろうか?
だったら確かに血の気は多いだろうが、俺はもうずっと血を受け付けないし、吸血が苦い思い出になってしまった今、もし次そうすることがあればとびきり旨い血しか飲みたくない。なんてこの期に及んで思っている。
「いらね」
「でも、そのままじゃ」
「血、飲めねーから」
構うな、とばかりに手を振るけれど、ちょっと困ったような顔をしたそいつは、少し考えるような素振りをした後、どこからともなく一輪の花を取り出した。
「これならどうですか? 俺が育てた花なんですけど、――あなたに」
まっすぐな瞳で捧げられた花は白く、月明かりを受けてきらきらと淡く発光しているかのよう。餌となる花といえば薔薇一辺倒だった俺は、正直花の種類には疎い。けれど、これまで嗅いだことのないような、淡く澄んだ甘さに、じゅわ、と唾液が滲む。
うまそ。
思った時には、もう俺の目はすっかり補食の色を湛えていたに違いない。
そっと唇へと寄せられた花びらが触れた瞬間、優しい生気がふわりと流れ込んでくる。俺のために捧げられた、純粋な想いのこもったそれは、ずっと口内に残っていた苦みを洗い流すようだった。
こうして俺は一命をとりとめたわけだが、この人狼のガキ――野分が俺に一目惚れしたなどと主張し、飢えて倒れていないか心配です、と言っては花を捧げてくる日々が始まる。過剰な摂食障害は改善されたものの、他の餌からの生気の摂取は今もあまり上手くはいかないのだが、なぜだか野分の花の生気はするりと喉を通る。その理由は、まあ、推して知るべしか。
お前の血、どんな味がするんだろうな。
野分に捧げられた花を食みながら、もうずっとそんなことばかり考えている。もちろん、そんなこと本人には言えないのだけれど。
視線の先。夜の月明かりに照らされた庭では、野分が俺に捧げる為の花餌を、機嫌良く尻尾を振りながら手入れしている。